2013-06-21 第183回国会 衆議院 法務委員会 第20号
私の息子、佐藤隆陸は、平成十五年十一月十六日未明、仕事のため赴任していた鹿児島県奄美市において、飲酒運転の車にひき逃げされ、一週間後の十一月二十三日に亡くなりました。
私の息子、佐藤隆陸は、平成十五年十一月十六日未明、仕事のため赴任していた鹿児島県奄美市において、飲酒運転の車にひき逃げされ、一週間後の十一月二十三日に亡くなりました。
佐藤隆さんです。福田さんに私淑して国際人口問題議員懇談会の会長まで引き継がれましたが、農林水産大臣を一生懸命やっておられました。これは、やはり総理と大統領で決まっているんです。全く図式が似たような感じで来ているんですね。日本とアメリカの問題で、こういうふうに決着がつけられてしまうんですよ。
○佐藤(隆)政府参考人 先ほど大臣からも御答弁ございましたように、個別金融機関に関する具体的な改善計画の実施状況の中身、具体的な点についてはコメントを差し控えさせていただきたいと思いますけれども、業務改善命令を受けたにもかかわらず改革、改善の意思がない、あるいはその実行が見られないといった場合には、当然のことながら、さらなる追加的な措置というものを私ども考えるわけでございます。
○佐藤(隆)政府参考人 まず、一般論といたしまして、供託をさせておりますので、未使用残高の二分の一という水準でございますが、これくらい備えておけば何らかの問題があったときにもおおむね利用者の方々に返せるんじゃないか、こういう仕組みになっているということでございます。
○佐藤(隆)政府参考人 先ほど申し上げました命令に基づきまして、近畿産業信用組合の方から、昨年の七月に改善計画が提出されました。これを受けまして、三カ月ごとのフォローアップということで、これまでに、昨年の十月、それから本年に入りまして一月に改善計画の実施状況についての報告を受けているところでございます。
これは先輩議員の皆さん、大変よく御存じだと思うんですが、昭和四十二年の八月二十九日の新潟県下越の集中豪雨で両親と二人の息子さんを亡くされた故佐藤隆衆議院議員らが訴えて、実現まで七年かかった。いろいろな方たちとやって七年かかった、著書、その経過を私読ませていただきました。 両親と三人の息子さんが宿泊していた旅館の裏山が崩れて、土石流で押しつぶされてしまった。
昭和四十八年にできた法律ですけれども、これは実は、私も当時のことを記憶しておりますけれども、仲間であった自民党の佐藤隆さんが御自身の体験の中から非常に熱心に取り組まれて困難を克服してつくられた。あれはほっておけばできなかったと思いますよ。
佐藤隆先生が十年ぐらいかかってたしかつくられた。最初は五十万円の見舞金から始まっておるわけなんです。 それで、私もこの問題に役人の当時かかわったことを記憶しておるんですが、単なる弔慰金、単なる見舞金ではなかったんです。
かつて同僚でありました、また私たちにとっては先輩でありますが、亡くなられました佐藤隆農林大臣が、新潟での災害でかけがえのない家族を失ったのをきっかけに、先輩は奔走をして今日の災害弔慰金制度を成立させました。 個人補償の厚い壁を今越えようとしているときであります。アメリカはあのノースリッジの災害で、大統領は決断をいたしました。
この法律の成立に尽力されたのは、自民党の参議院議員であり衆議院議員であった佐藤隆さんです。 この佐藤さんは、一九六七年の羽越水害で御自分のお父さん、お母さん、それから長男と三男の肉親四人を失われました。その痛切な体験をもとにそれから御活躍されるわけですけれども、その佐藤さんが記した本に「自然災害に対する個人救済制度」という本がありまして、そのときの思いを書かれています。「自然災害によるこの不幸。
私の郷土の政治家として先輩であり、非常に敬愛する佐藤隆かつての参議院議員、衆議院議員が、みずからの体験にかんがみ災害補償制度というのを、災害で亡くなられた方にもお見舞金を出そうということで、当初たしか三百万ぐらいだったでしょうか、それが今は五百万等になっているわけでございます。
それで、私も委員会の後、富士銀行の方にお訪ねをして、総合企画部の藤本次長さんと佐藤隆参事役に事実の確認をしてまいりましたけれども、例の尾花案件でございます。四谷支店で一度受け付けたけれども、それが却下されたので改めて赤坂支店の方で受けた、そのときには例の中村さんの不正融資であったわけですけれども、後で事実を確認した上で、今度は適合したので正式に融資したという、そのくだりでございます。
私も実は、亡くなられた、元農水大臣をやられました佐藤隆先生の後を受けまして、人口と開発の問題についてアジアのフォーラムのチェアマンをさせていただいております。
この災害弔慰金の支給等に関する法律というのもこれも議員立法として、亡くなられた佐藤隆議員ですか、この参議院で、自分の家族もその災害によって亡くすということの中から、天災だ、自然災害だといってとうとい命が失われたときに、ただそれは失った者が悪いんだとは言わないけれども、何にも国が給付できないという、一体そんなばかなことがあるかということで議員立法でできたのがこれですよね。
そして、当時の佐藤隆農林水産大臣は、病を押してアメリカに飛び、激しい交渉を行いました。そのときは、我が党の国会議員や農業団体も渡米し、大臣のバックアップをいたしました。結果は、我が国として到底のめる案ではなく、決裂して大臣が日本に帰り、その後アメリカもまた新しい考えを持って、当時のヤイター農務長官が今度は日本に来て交渉を妥結させました。厳しい交渉でありました。
それから参議院の災害対策特別委員会というのは非常に伝統のある委員会でございまして、現在の災害弔慰金制度というのは佐藤隆先生がここで活躍されていたころ、昭和四十年代の中ごろだった思いますがつくられた制度で、現在五百万でございますか、当時は最初十万の見舞い金から始まったわけです。これも法律にするには大変な大騒動をやって、七、八年かかってつくったわけでございます。
たしか佐藤隆さんが農林大臣のころに私は、当時、全国有機農業研究会の会長は一楽さんでありましたが、この方は農林中金で佐藤さんのかつての上 司であります。佐藤さんのお父さんがたしか彼と東大で同級であった。こういう関係があって、あなた、佐藤大臣と会って、日本の有機農業というものについて自分の考えを率直に述べてみなさいといって合わすような手順をしたのです。ところが、あの人はとうとう会わなかったのです。
○佐藤(隆)政府委員 お尋ねのように、この現況届は、毎年一回、年金受給権者の生存につきまして市区町村長の証明を添える。先ほど先生お示しになりましたはがきに市区町村長の印を押していただく、確認をしていただくということで、その生存の確認ということでございますが、これにつきましていろいろ御意見があるかと思います。
○佐藤(隆)政府委員 お尋ねの現況届でございますが、これは年金裁定後の受給権者の状況あるいはその配偶者など加給対象の方々の状況、こういったものを定期的に確認いたしまして、これによりまして、例えば受給権者の死亡による年金の過払いあるいはそれに伴います返納金の発生というものを防止いたしまして年金の支払いを適正に行う、こういう観点から実施しているものでございます。
○佐藤(隆)政府委員 根本的と申しますか、基本的にはやはり年金受給権者が生存をしている、こういうことを確認するということだと考えております。
○佐藤(隆)政府委員 ただいまお尋ねの政管健保の在宅介護支援事業でございますが、考え方といたしましては、寝たきり、あるいはそれに近い状態になりまして在宅で医療や訪問看護を受けておられます被保険者あるいは被扶養者に対しまして、住みなれた自宅で暮らすことができるよう、その健康状態に応じた日常生活を支援し、自立促進を図るために、平成五年度から保健福祉施設事業といたしまして、新たに介護機器のレンタル料の助成
○佐藤(隆)政府委員 政管健保の分娩費についてのお尋ねでございますが、ただいま御指摘のような事務の流れでございまして、審査事務あるいは国庫金の送金など会計事務上の手続がございまして、現在支払いまでに二週間から三週間かかっているというのが実情でございます。しかしながら、できる限り迅速な支給が行えますよう、現行の支払い方法についてさらに工夫をしてまいりたいと考えております。
災害の中には、今思い出しても与党の先生、亡くなられた佐藤隆先生あるいは今いらっしゃらない天野光晴先生とか、物すごい熱心な方がいらっしゃいました。
○佐藤(隆)政府委員 ただいまの御指摘の戸籍法に基づく死亡届を出せばそれで年金がストップになるように、こういうことでございますが、戸籍法に基づきます死亡届をいわば他の行政制度である年金の届け出に利用しまして、直ちに年金の受給権を差しとめるということになりますと、それぞれ異なる行政目的に応じまして別個に運営されているそれぞれの制度でございますので、行政全般にわたる問題でございまして、慎重な取り扱いが必要
○佐藤(隆)政府委員 適用漏れ者の数についての御質問でございますが、国民年金の未加入者につきましては、特に人口が多くて転入転出の激しい都市部において把握することが困難でございまして、その正確な数字は把握していないところでございます。なお一層の適用対策の強化を図ってまいりたいと思っております。
○佐藤(隆)政府委員 年金制度の運営に当たりまして、現在、制度ごとに番号をつけておりますので、基礎年金に一季の番号があるというわけではございません。